鈍すぎる想像

カワムラが雑念を綴る。仙台でthe wordというバンドで活動していたり、無差別ラジオというpodcastをやっております。

自覚マイナス

今日はなんとなくお昼ご飯を抜いてみた、私です。

 

無差別ラジオというラジオをやっっているのですが、本日はその収録でした。機材トラブルで1時間費やした。無事録れているといいな。以下、無差別ラジオの話を書くので、ネタバレが嫌だと言う熱心な方は読まない方がいいかも。まあいないと思うけど。でも少々込み入った話を書きそうなので、ご注意ください。

 

簡単にいうと、宗教の話とルッキズムの話をしました。もっとうまく話せたらと思う。思っていることはあるけどちゃんと言葉にして話せないのか。何も考えてないから話せないのか。この中間ぐらいにいる気がする。

 

宗教の話は前にもラジオで話したことあるけれど、ここ日本にいるからなのか、私の周りでそういう話題が少ないからか、普段宗教について深く考えることがない。メリークリスマスも普通に言うし、お寺までお墓参りにも行く。さらに言えばキリスト教の幼稚園だった。こんなにごちゃ混ぜなのも日本だからな気がする。詳しくないので、下手なこと書かない方がいいのかもしれない。でもそういうことを思わせる宗教というものも考えものだ。本来はもっと語られるべき話題だとも思う。一種の腫れ物に触るような雰囲気がある。でも特別何かを信じているわけでもないし、宗教に限らず疑いの目から入るのが私の基本姿勢である。ラジオでは配慮についても話した。配慮も行きすぎると配慮する側の負担も大きいなと。すべての方面に配慮できる人は果たしているのだろうか。宗教と配慮についてはもっと考え切りたい。

 

ルッキズムの話は、少し前にtwitterで話題になった磯丸水産に行くみたいな格好でクラブに来ないでよ的なツイートから話し始めて、ルッキズムの話をしました。ルッキズムとはwikipediaによると、外見至上主義みたいなことらしい。このルッキズムから差別につながることもあり、まああんまりよくないよねという。収録終わって家に帰ってきて

考えたのは、無差別ラジオって名前でやってるけど、そもそも差別ってなんだということ。倫理観を度外視したら、なぜ差別はよくないのかという問いを繰り返すループに入ってしまった。自分の中で明確な答えを出せないことに失望したが、かなしみを生むからという答えに一旦落ち着いた。結局かなしみという不利益が生まれるからだと。そのかなしみにも様々な種類はあると思うけれど、ここでは割愛。死刑制度の賛否もそうかもしれないけど、答えに人の倫理観とかモラルとかに頼らざるを得ない気もする。言葉を定義していく作業を自分の中でもっとしていかないといけない気持ちになった。行き場のないかなしみがただよう社会を生きている。そういう自覚が足りなかった。ある種いじめも差別なきがするから、なぜいじめは起きるのか、とかも少し考えたいね。

 

しゅうかつようの服を買った。

ギターを試奏した、マーシャルにつなげたらいい音だった。しゅうかつがんばろう。