鈍すぎる想像

カワムラが雑念を綴る。仙台でthe wordというバンドで活動していたり、無差別ラジオというpodcastをやっております。

ぼくらなら

はじめてのキャンプはとても楽しかった、私です。

疲れがまだ抜けきりませんが、それ以上に楽しんだので勝ち。また行きたいです。

 

行きたいといえば行きたいライブがたくさんあって困っています。

アジカン(仙台公演あれば)、GRAPEVINE、リーガルリリー、水曜日のカンパネラ、paionia、シガーロス

などなど。チケットもう取れないのあるかもだけど。ただまだライブハウスに行くのがなんとなく腰が引けるのだけど、うまく言葉にできない。ずる休みした翌日学校行きたくなくなるような。違うかもしれません。疎外感、とも少し違うか。

 

GRAPEVINEの田中さんの文章が高校の教科書に載るという話、Twitterでもしたのですが、ずっとそういうこと考えてたなと思う箇所があって、そこが共感した全部ではないのですが、僕の昔のブログにそれっぽいことが書かれていたので、紹介させてください。

 

バイザウェイ。ちょっと前ですが、どこかの新聞の記事がTwitterで流れてきてずっと頭の中に残ってるんですよね。坂本龍一さんが「音楽の力」という言葉に嫌悪感を持っているという記事ですね。

 

さわりだけ読めますね

https://www.google.com/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASN1Y4WTYN1WUCVL005.html

 

なんかまあ記事の話をしたいというか、音楽の力という言葉について考えてて、自分は音楽が持つエネルギーみたいなものを、どのような言葉で納得したいのかなと思ってたんですが、さっき唐揚げ食べてたら思いつきました。

 

僕らが、音楽を、暮らすための力に変える

 

力というとまあちょっと大袈裟だけど、ぼくは思う。音楽はただそこで流れていくけれど、それを聴いた僕らが力に変えていこう。淡々と過ぎていく日々を暮らしていく力に変えよう。

そんなことを思いつきました。

だって音楽で人生変わる人もいれば変わらない人もいて、それって結局自分でどれぐらい変換したかどうかってことだと思う。人によって度合いが違うだけなのでは。良い悪いではなく。

たしかにね、音楽そのものに力はない気がする、聴き手の変換する力だと僕は思う。だから聴いてくれる人がいなければ、演奏する側としたらむなしいんだと思う。

 

music is not power ,but we can turn it into power

これを目的にnoname recordsは手段をあんまり選ばずいきますよ!

 

noname recordsの求人広告 - 鈍すぎる想像

ちょっとハイなテンションで書かれていて、やや恥ずかしいのですが、ご愛敬ということでお願いします。

この当時は坂本龍一さんの記事にふれていましたが、ニュアンス近いというか、そんな感じのことを思っていたので、今回田中さんの文章を読んだ時うれしかった。この感覚をこんなにうつくしく書けるのかと思って。うつくしいと書くと大袈裟かもしれませんが、すばらしい文章だなと。

GRAPEVINE聴きながら、書いているけど、泣きそうになるぐらい良いんだよな。一度荒吐でライブ見たけど、その時はあまり曲も知らず、「なんかすげえ」って思ってました。今観たら、何を感じれるのだろう。どんな風に変換できるだろうか?うん、ライブ行きたい。

 

今日はポートフォリオの作成がすこし進んだし、また新たな曲のタネが見つかった気がした。