何回だってやり直せ
自分はこれからどうあるべきか、どうありたいかを考える。一日の終わりに考えてそれなりの答えが出るなんて思わないけれど、輪郭だけでも捉えたい。
未来を考える前に、過去をどう捉えるかにも答えみたいなものを出したい。正直、素晴らしい人生を生きてきたとは思えないし、たくさんの人に迷惑をかけた。でもしあわせだと思った瞬間瞬間は確かにあって、それをくれた人には感謝しきれない。だが関わったひとたち全員に感謝できるほど器を持ち合わせていない。
その器を大きくする。それも一つのありたい姿かもしれない。
ある種の懺悔をしない限り、消えないような泥みたいなものがある。
こういう愁情に浸っていてはいけない。肩まで浸かってしまえば心地良いが、心が腐ってしまう。やがて抜け出すのが困難になる。
しかし、ここ数年で座右の銘みたいなものが固まってきた気がする。
何回だってやり直す
earstern youthの矯正視力〇・六より拝借しました。
この言葉を頭で復唱すると、力が湧いてくる気がする。なので、座右の銘にさせて頂いている。こんな何回もくじけた僕でもやりなおしが効くということをこの人生をもってして証明してやりたい。これもひとつの目標だ。
あとは感謝すべき人たちへ恩返ししていきたい。僕という人間はほんとうにちっぽけで独りでできることなんて限りがあるし、気を抜くとすぐに逃げたくなってしまう弱い人間で。でも支えてくれる人への感謝を心に置いておけば、まだ進める気がする。まだ何も返せていないということに気づける。
取り留めない文章ですみません。具体的なことはなるべく書かない方がいいかと思って。ありがたいことに僕はまだ前に進めるような気がします。大丈夫。何回だってやり直そう。