鈍すぎる想像

カワムラが雑念を綴る。仙台でthe wordというバンドで活動していたり、無差別ラジオというpodcastをやっております。

泥だらけで暮らして

時間が経つのが早く感じる今日この頃です、私です。

できるなら毎日、今日一日有意義に過ごせたとか充実感ある日だったなあとか思いたいわけですが、まず自分のなかでの有意義な過ごし方を考えよう。

①プログラミング学習・アプリ開発を進めることできた

②ギターを弾く・作詞作曲・集中して音楽を聴く、などができた

③楽しく人と話せた

④読書に没頭できた

⑤日記を書けた

いまさっと思いつくだけ、充実感が感じられる物事を書いてみました。たぶん上から順に効果がでかいです。(2022年5月11日調べ)

今日のところは④以外できた気がする。おお、ということは今日は私的有意義な1日だったということだ。ほんとかな。あとスタジオの予約もできた。2ヶ月ぶりだ、こんなにうれしいことはない。

 

気がつくとまたSNSを気にするようになってしまった。ついこの前までは、twitter開かない日の方が多かったのに、最近では毎日見てしまっている。別に悪いことではない。ただ僕は開く度にほんの少し罪悪感があるのだ。

SNSにはギャンブル性のようなものがあるらしい。例えば、いいねがついてるのを確かめるのもそのせいで、面白いことや大きいニュースがあるかどうか確かめるのにSNSを開くのもそうらしい。狩猟採集社会であった人間の本能が残っているから。獲物を狩れるかどうかもおいしい果実が採れるかどうかも運の要素は大きかったはずだ。みたいな話。

SNS登場以来、ニュースが届くまでのスピードが速くなっただろうし、良くも悪くも速く拡散される。おそらく僕はそのスピードと拡散される何かの善悪があいまいなところが、すこし苦手なのかもしれない。上手に使うこともできる人もいるのだろうけれど、実際のところ僕はSNS側に利用されているようなもんだ。ふとした瞬間きになってしまうのだ。完全に向こうのペースだ。情報にふれたい、人とつながりたいという気持ちを操られないように、SNSとは対等な関係を築き上げたい。あともう少し自分の意識に入ってこなければ、良い感じの関係性になれると思う。

ほんとはもっと書けそうな気もするけど、センスよくかつスマートに書けるか不安だし、諸刃の刃なきもするので、このへんにしておきます。

 

 

今、音楽が楽しい。バランスを考えないとな。ボイトレがきになる。