Twitterを遠ざけてた理由に気づいたかもしれない。
マナーが悪い。他人に対する配慮が足りない。
フォロワーだけでなく世間の皆様に見られるかもしれないという可能性を置き去りにしている、悦に浸っている人が多い。
まあ半分は僕の被害妄想癖が原因かもしれない。
例えば、〜嫌いって、ふんぞりかえって書き込むのはとてつもなくかっこわるいと思う。ダサダサのダサ。
いい大人が大声でピーマン嫌いって言ってるのとなんら変わらない。幼稚に思える。
でもこれは文字数のせいなのかもしれない。
ピーマンが好きな人もいる、という状況に気づいていないということもないだろう。気づいてはいるもののTwitterでは簡潔に述べたほうが良いというよくわからんことを気にして、配慮を欠いてしまうのか。
全員に気を遣えというのも酷かもしれないが、発言とはそもそもそういうものな気がする。伝わる範囲内にいる人に向けて発するものだと。
それがTwitterでは限られてはいるものの"世間"なのではないのか。
ただ誰も傷つかないというのも難しいのはわかる。わかるけれど、好き嫌い、まして嫌いということだけを発信することの非生産的なことこの上なくはないだろうか。
あなたがあるものを嫌いと感じるのであれば、それはたいていみんなが知っているものなのだと思う。みんなが知っているものであれば、当然それを好きな人もいるだろう。つまりほとんどのものにファンもアンチもいるのだ。30年生きてきての感想です。
1.ピーマンきらい
2.ピーマンは苦いからぼくは好きではない
ざっと書いてみたが、どちらも知らねーよって一蹴されるはずだ。一蹴されることをつぶやくのはその人にとってマイナスだと思う。
こんなアホみたいなことつぶやくんだ、この人。おもしろくもないし、なんかムカつく。とか思われてますよ。きっと。
仮に2のように理由を添えても、?となる。
正直その人の嫌いなものって、その人に好意を寄せていないと気にしないと思う。興味ない人の嫌いなものなんてどうでもいいし、嫌いな人の嫌いなものは知りたくもないよ。
3.ピーマンは苦手だが、肉詰めにしてみたら美味しく食べれました☆
これぐらいになって、ようやく情報として有意義になってくる。あ、肉詰めという料理ならピーマン苦手な僕も食べれそうって思ってくれる人がいそうですし。
ただ単純に疑問なのは、言葉にする以上、得したいとは思わんのかな。僕はこれを書いてて損もあるけど、得するとも思ってるのです。《信じていますよ!》
ネットだからいいやみたいな?
いや、よくないだろ。AIがつぶやいてるわけじゃないんだから。実在する人間の言葉なんだから。
可能な限り想像した上で、発信するのがマナーでしょう。マナーというかモラルなのかもしれない。
とりあえずツイートする前に一回読もうよ。垂れ流すなよ、排泄物を。みんながともだちなんけじゃないぞ。
せめて言葉らしい言葉を。
追記 2019.03.23
SNSで否定的なことを言うならせめて議論の余地を残さないと、それはただのノイズなのでは。そう思ったのがきっかけでこの話を書いた。
〜嫌いっていう表現が、あまりにも一方的なのかと感じたのです。
肯定には理由がいらなくて、否定には理由が必要というか。
批判するなとか自分の意見を言うなとかっていうことを書きたかったわけではなく、非生産的でしかも他人に不快な思いしかさせないだろうというつぶやきが減ればいいなと思ったのです。
ここで〜というつぶやきが嫌いって言わないのが大事。表現を変えるのも配慮。
嫌いという言葉は使いづらい言葉だ。