鈍すぎる想像

カワムラが雑念を綴る。仙台でthe wordというバンドで活動していたり、無差別ラジオというpodcastをやっております。

うらぎり on the subway

意外とブログが習慣になりつつある、私です。3ヶ月続くとその後も習慣になりやすいらしいですね。なので、まだまだだ。あまりがんばらないようにします。

 

そろそろ履歴書用の証明写真を撮らなきゃと思い、髪を切りました。なかなかのくせ毛なので放置してると本当に面白い髪型になる。ポートフォリオとして作っているアプリも一旦終わりが見えてきたので、来週あたりから就職活動を本格的に始めます。人生何度目の就職活動だよと思いながら、職務経歴書書いてました。昔の仕事の詳細が全く思い出せない。記憶になんらかの不具合がありそう。思い出せないものはしょうがないから気合いれて他でカバーしよう。

みんな昔の記憶ってちゃんと思い出せるもんなのかな。昔っていっても5年とか10年前とか。一回、記憶喪失ってほどでもないけど、それっぽいのになったのが関係しているのだろうか?高校までは記憶力良かった気がするのに。

 

明日はプログラミングがんばるって、昨日のブログに書いた気がする。やはり明日よろうはばかやろうだ。もう宣言しない。

髪切ったあとは、歌とギターの練習してた。関係ないけど、Creepy Nuts(スペル不安)のかつて天才だった俺たちへを歌えるようになりたいと、なぜか思い立ち練習してみた。難しい。この曲なんか好きなんです。

 

そういえば、今日地下鉄に乗っていたら、初老の男性がバランス崩して背中から倒れて頭ぶつけるという場面に遭遇した。結構すごい音がして、車内は騒然になったんだけど、僕はその他大勢の人と同じく立ち上がってその様子を見ることぐらいしかできなかった。ちょっと離れた席に座っていたこともあったが、自分の中でいろんな言い訳を巡らせて動かないことを正当化しようとしていた。そんな中、一人の若そうな女性が非常ボタンを押して車掌に連絡していた。こういうときに迅速に人を助けようという行動ができることに、単純に感動していた。それと同時に何もしなかった自分を情けないと思った。結局、次の駅で少し停車して、駅員と車掌がその倒れた男性に大丈夫か確認していた。どうやら大丈夫らしく、その男性もその次の駅で降りていた。

その間もずっと自分の動けなさを正当化する言い訳を探していた。自分が降りる駅になったとき、ふと我に返ったが、なんとも言い難い気持ちになった。誰かが大変なときに手を差し伸べることができると勘違いしていたのかもしれない。だから現実にそういうことが起こったときになにもできない自分に失望したのだろう。

悪い意味ではなく、自分も含め誰にも期待しないようにしていたのに、少なくとも自分にはまだ期待していたらしい。信じることと期待は別でしょう。見返りを求めるかどうか。期待するのはやめて、信じたい。

 

楽天がサヨナラ負けしたニュースを見かけて、ほんの少しだけしょげる。なんとなく的を得たことを言いたがっていたそばから、すぐに頭は切り替わってしまう。常にシリアスなモードではいられないということか。やや書きすぎた。眠れなくなるので、それではまた。