鈍すぎる想像

カワムラが雑念を綴る。仙台でthe wordというバンドで活動していたり、無差別ラジオというpodcastをやっております。

繰り返されるウイルスの話

なんかもやもやしますな、かわむらです。

ややしんどい話を書くつもりなので、元気がない人は読まないほうがいいかもしれません。ぐっない。

 

 

 

 

 

閉鎖的というか、なんか悲しくやりきれない感覚。この空気感はどこから来るんだって思うと大半がSNSやネットの情報だったり、あんまりTVなどだったりする気がしていて。直接会って話したり電話したりして聞こえてくる生の声というよりは、なんか得体の知れないものからな気がする。

 

新型コロナウイルスについてというか、それに対する政府だったりの対応が話題になってますが、なんかね。政府を叩くのもいいけど、それはれっきとした批判に昇華したほうがいいと思うし、Twitterでただ文句言っても本当に消耗するだけなのでやめたほうがいいと思います。

やっぱり今回の件に関してはTwitterとか言葉数の少なく、流動性が高かったり、情報源が不明瞭なものは向いてない気がします。ただただ混乱するというか。

 

じゃあどうしたらいいか。

こういう状況だけど、どうしたら親しい人と楽しく暮らせるかをこういう機会に考えたほうがいいと思う。こういうときにむやみやたらに遠い知らない人と結束しようと動く人がいるけど、それよりは近く親しい人との結束を強めるべきタイミングであると僕は思う。

あとSNSとかの情報、考え方を参考にしないのがぼくなりの過ごし方です。人は自分にとって都合の良い人しかフォローしない傾向にあると思うので、そこに集まる情報は偏ってることが多々ある気がしていて。

なので、体力があるなら自らインターネットで情報をとりにいってもいいけど、それで混乱するぐらいなら、最低限のニュースだけチェックするぐらいでもいいかなと思っている。

 

いやでも

それにしてもメディアは不安を煽りすぎな気がします。たしかに感染者も出て、死者も出ている新型のウイルスです。しかし、連日連日その脅威を報道するほど恐ろしいものなのでしょうか。イベントを中止、延期にしたり、全国の小中高が休校すべき事態なのでしょうか。果たして政府の方針は正しいでしょうか。

その先にある利害関係がどんなものかだったり、本当に悲しむ人が誰かだったり、想像は巡らせたい。

きっと事態が収束した時に冷静に振り返ることができるのでしょう。

あとただなんとなくですが、コロナウイルスの報道が連日行われる前になされていた議論や批判は思い出す必要があると思います。もしかしたら、この状況に乗じて隠されようとしていることもある可能性だって否定できません。

 

ほとんどの情報がデマじゃないにしろ、何を根拠にこれを言ってるんだというぐらい情報が雑多すぎるので、やはりある程度フィルターをかける工夫が必要かもしれません。

この状態で混乱しないほうが難しいと思うけど、本当に大切なものは何かを改めて考える良い機会だと思います。しつこいようですが。

目に見えないものを恐れるより、目に見える身近な人を信じたいです。

冷静沈着でなくてもいいです。しかし、どうか悪意に踊らされないように。踊らされて取るその行動が、大切な人たちを苦しめてしまわないように。

決して絶望的な状況ではないし、きっと収束するはずだと信じているので、その先の、続いていく暮らしを希望として乗り切りましょう。

 

睡眠もかなり大事なので、ゆっくり休んでください。おやすみなさい。