鈍すぎる想像

カワムラが雑念を綴る。仙台でthe wordというバンドで活動していたり、無差別ラジオというpodcastをやっております。

有り難さとキャパシティ

どうもなんの説明もなしにラジオの台本(?)をブログにアップしたことを少し悔いている私かわむらです。

 

昨日、天竺鼠の面白さに気付いてしまいました。お笑いって尊いなーと思います。もし面白いこと思いついたとしてもそれをコントなり漫才で表現できるのはすごい尊敬するし、とても有難い。ぺこぱも好きです。

 

そういうことを考えると誰かにとって有り難いこと、有ることが難しいこと、を自分はできてるのかと思ってしまいます。

それが確認できるのは、ダイレクトにありがとうと感謝されたときやお金や有用な物を貰えた時だったりするのかなと。

なので働いてお金がもらえてることも誰かにとっては有り難いことということになりますし、金銭などが発生したくてもボランティアで感謝されることだって有り難いことなので、それを積み重ねたりしたいなと思います。

でもぼくはぼくにとって大事な人が健康に過ごしてくれていること自体ありがたいなと思います。あと普通にご飯が食べれてることとか、ぐっすり眠れてることかも。

 

この前ネットで読んだ記事に、人は生産性に価値を置きずぎていると書かれてました。だから役に立つか立たないかで物事を判断しがちだと。

なので高いパフォーマンスをもって仕事ができる人が評価されるのは、今の社会では当たり前のことだと認識されているけど、本当に生産性に価値はあるのかということを見直したいと私は思います。

数字を大きくすることに囚われすぎている人が多い気がします。学校の成績だったり給料だったりGDPだったり。

数字なんて所詮万人にわかりやすいフィクションみたいなもんだとぼくは思うので、こういうことはちゃんと整理しておきたい。

 

そもそも仕事で高いパフォーマンスを発揮する意味とはなんだとか、仕事は人生の目的だっけとか、お金を余剰に稼ぐことって本当に必要だっけかとか。そもそもの自分の原点みたいなものが大切だったのではとか。

自分の大切なものや価値観を見失うと急に心が狭くなる気がします。

例えば仕事で高いパフォーマンスを発揮するのには、それには大きなストレスが伴うと思います。ストレス耐性など人によるものがあると思いますが、ストレスで体調がおかしくなりつつも自分のキャパシティに見合わない仕事で成果を求めるのは、果たして自分の人生に必要なのかと自問すべきだと思う。

もしキャパシティをオーバーすれば、その余剰は自分の健康を損なったり、他人を攻撃してしまったり、場合によっては暴力や犯罪に繋がる可能性も否定できないはずです。

きっと自分の器から水がこぼれないような生活を心がけることができていれば、世の中かなしいことが少し減ると思ってます。

自分の器を測ることより目の前の数字を追うことを優先してしまうと大半の人がなんかしらの不調を抱えてしまう気がします。自分の器、キャパシティを把握することがきっと必要なことなんだと思います。

キャパシティというとふわふわしてますが、どうすれば測れるのか。きっとそのひとつには内省があると思います。自分の軸だったり、原体験だったりを見直すことで、どの方向で自分はがんばれるかということがわかるはずです。その方向さえある程度ぶれなければ、自分の幅も体感としてわかってくるはずです。時にその矢印がぶれても多少の方向修正はむしろ必要なはずですし。

 

あとは自分にとって有り難いものがなにかも把握する必要があると思います。

例えば今このスマホで文章を書いていますが、このスマホが作られるには沢山の人たちの仕事が関わっていて、その意味合いを考えるととても有り難いことだと思います。そうやってただ在るものがなぜここに在るのかということの意味を考え、想像し、感謝できるのが重要なスキルだと私は考えます。物でなくとも人、家族や友人や恋人や同僚など、人の生産性よりもその人たちが居ることに意味を見出し、ありがとうと感謝できる、そういう余裕もキャパシティのひとつかと思います。

 

この変化の激しい時代に、有用性よりも意味合いを考えることのできるスキルは求められてくるはずです。決して仕事ができて、年収が高い人を批判したいわけでなく、ぼくたちってそれでいいんだっけって一回立ち止まって一緒に考えたいという話です。

AIがほとんどの仕事奪うみたいな話もありますが、AIなど技術との進歩にこそ、協働する未来があると思っています。つまり人の役に立ってくれる有用性のある技術に任せることができる部分は全部任せて、もっと意味合いを考えるという部分な我々は自分たちの時間を費やすべきなのではないかと思います。

 

ぼくのざっくりしたフィーリングでは、ロボットが作った牛丼は食えるけど、ロボットが作った音楽にお金は払わない気がする、みたいなもんです。

 

珍しく長くなりましたが、最近いろんな本や記事を読んで思ったことのまとめになったので、割と書き終わって満足感があります。気づ気があればまた書いてみたい話です。

 

読んでくださった、皆さま本当に有り難うございます。読んでいただけることで、書くことができています。ありがとう。