鈍すぎる想像

カワムラが雑念を綴る。仙台でthe wordというバンドで活動していたり、無差別ラジオというpodcastをやっております。

コミニュケーションはそれからだ

どうもこんばんは。カワムラです。

 

本日は有給休暇をいただきまして、ほげぇーと1日を過ごしてました。

したことといえば散歩とラジオの収録ぐらいです。

 

ラジオの収録も、このブログを書くのも、聴く人や読む人がいて成り立っています。成り立っているというとちょっとニュアンス違うかもしれませんが、とりあえず情報を受け取って頂けています。ありがたいことに。

 

今日の収録中に、思ったことですが、視聴者の方が望むようなことを喋ればいいってわけじゃないよなと。僕が考える視聴者の方が聞きたい話と、本当に視聴者の方が聞きたいことって合致することはないよなと思ってしまった。

というのも、僕が考えた時点で僕の考えでしかなく、その人の考えを予想したにすぎないし、その予想は逆に本当のところからは遠ざかってしまうのではという疑問が出てきた。視聴者は特定の誰か1人ではないわけだし。

 

つまり想定するよりも試しに自分の話したいことをそのまましゃべるのが、なによりなのではないか。そこにしか面白いものが生まれない気がしてきた。

 

当たり前のことかもしれないが、僕にとっての当たり前ではないことなので、つらつらと書きました。

 

予想の斜め上をいった方が面白いよな、単純に。だから試したいものは試していく。邪推ではなく思考実験を。

 

嫌われたくないと思い、自分の表現を捻じ曲げがちな私でした。たしかに相手の嫌がることをわかっててする必要はないけど、相手に嫌われまいと振る舞って仕舞えば本末転倒。自分のユニークさは死んでしまう。

 

ラジオよりブログのほうが饒舌なのは、一人で書いていて、特に他人を意識しなくて済むからなのかもしれない。他人の目ってのはつまるところ、自分の思う他人の目だからな。

不特定多数の人を相手とする場合は、この他人の目を塞いだほうがいいな、きっと。

 

コミニュケーションはそれからだ。