天才を孤独に浸すな
ふと湯舟につかっていましたら、何故か天才という言葉について考えてしまったんです。
誰かしらを、
とある分野の天才と称えることって、その分野からの逃避なのではないかと。
うぬ。逃避とまではいかないけど、一種のあきらめモードに入ってしまう気がするんです。
自分より優れていると思ったその人を天才という言葉で遥か彼方に持ち上げることは、
言い過ぎかもしれないけど神格化みたいなものに近いなと。
言葉狩りみたいになると嫌だけど、最後まで書かせてみせてよ。
the wordってバンドやってる人が、言葉狩りって笑えないすね。
なぜそう感じるのかを考えてみたのですが、自分がちょっとがんばってることとか、片足突っ込んでようなことにおける
誰それが天才だという崇め方はなんか。
チャレンジしたことない分野の天才はなんか気にならない気がする。
例えばピカソの絵は天才だ!!
ってめっちゃ絵心ない人が言うには別に気にならないというか。
まだ知らないのね、よしよし。みたいな。
なんだろう、、、努力を諦めるときの言葉なのかとも思えて。
彼は努力の天才だ!!
ってのは、自分は精一杯頑張ってるんです!が!しかし、彼が凄すぎるだけなんですよーみたいに聞こえる。
書きはじめたはいいものの、難しいなこの話。
僕の話をすると、アジカンのゴッチにとても憧れていて、彼を天才だと思っている節もあるのですが、
なんかさ、音楽やってる人が
ゴッチは天才だ!だの、ジャンレノンは天才だ!
って言ってるのってなんか違和感ありません?ぼくだけかな。
自分から遠ざけて手の届かないものにして、自分が出来ない時は言い訳作ってるような。
それってアジカンとかビートルズ以上にかっこいい演奏とか、人の心を動かすような音楽作るの無理でーす!って敗北宣言してるのと同じでは。
いや、たしかに難しいのはわかるけど、じゃあ無理して音楽作らんでもよいのでは?ってなる。というか今そういう思考になっている。
あ、これブーメランだな、やばば。
でもやっぱりこれある程度がんばっているという人たちが言葉にしてると少し興醒めしてしまうということかも。
黙ってがんばれや!ってなるという。ブーメランが刺さりました。
勝手に納得してしまった。
天才なんていないのではと言ってみたい。
素晴らしいものを作る尊敬できる人を天才という言葉で遠ざけて孤独にさせず、自分も同じステージに立ってやるぜぐらいの気概を見たい。
うぬぼれや驕りなどでない、気概を見せてくれ。
誰かを攻撃したいわけではないけど、そうではないので、お願いしますだ。
文章書くのは難しいけど、書く!